大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和42年(わ)829号 判決 1968年2月22日

被告人 四関進

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、中学校卒業後、一時本籍地で家業である農業に従事していたが、昭和三五年六月ごろ兄弟を頼つて神奈川県川崎市へ行き、溶接工、理容師見習、キヤバレーのボーイなどをして働いていた。その間に、被告人は川崎自動車教習所に通つて自動車運転免許を取得したが、その際親しくなつた教官をたずねてその後もしばしば右教習所をおとずれるうちに、昭和四二年二月末ごろ右教習所に事務員として勤務していた木内洋子と知り合つて交際するようになつた。そして同年八月ごろから川崎市内に部屋を借りて夫婦として同棲するようになり、同年一〇月には双方の両親、兄弟等の祝福を受けて正式に結婚式を挙げた。もつとも、洋子が当時一七才とあまりに若年であつたため、洋子の親の頼みもあつて、当分の間婚姻の届出はしないことにした。

ところで、被告人は、これに先立つ同年七月に交通事故を起したため、同年一一月七日には神奈川県公安委員会から一ケ月間の運転免許停止処分の通知を受けるに至つた。ところが、当時被告人は労務者を運搬する日雇の自動車運転手として働いていたため、この処分を無視して、同年一一月一〇日自動車を運転し、その際スピード違反で検挙され、併せて無免許運転であることも発覚して右の運転手としての仕事を失うこととなつた。そのため交通違反の罰金、衣類等の月賦金、部屋代などの支払いにも窮するようになつたが、被告人は、実兄四関定吉に前記交通事故の際示談金七万円を借用しており、義兄高橋京男には結婚費用として一二、三万円使わせていた関係上、いずれにも金員の借用には行きにくく、また洋子としても、当初両親の反対を押し切つて被告人と同棲した関係もあつて、実家に経済的な援助を求め難い事情にあつた。このようなときに、洋子の提唱で、被告人夫婦は北海道へ行つて未知の土地で生活を建て直すことを決意し、同月一二日夜家財道具の一部を入質してつくつた三万円ほどの現金とボストンバツグ二個を持つたのみで、ほとんど着のみ着のままの状態で上野駅を立ち、翌一三日夜遅く札幌に着いた。

翌一一月一四日には、肩書住居地に六畳一部屋を借り、翌日から被告人が土工夫として働いたうえに、同月一七日、一八日には夜も洋子と共に市内のバーで働いたが、そのころには所持金のほとんどは使い果たし、土工夫としての日銭もすぐに食費などとして消えてゆく有様であつた。そして、同月一九日の夜、洋子が一人で風呂へ行つた後、被告人はそれまでの生活を顧みて、これから厳しい寒さを迎えようとしている北海道に着のみ着のままで夜逃げ同様にしてやつて来た無謀さを後悔し始め、土工夫の仕事も冬になると無くなると聞いていたこともあつて、被告人一人で働いても生活して行く自信がなくなり、かといつて洋子をバーにホステスとして勤めさせることについては、洋子の性格が派手で容貌も目立ち、客に人気があるため、客と間違いでも起こしかねないとの心配から、被告人としては気が進まず、このままでは二人ともだんだん底辺の生活に落ち込んでしまうのではないかと考えると、前途に希望がなくなり、いつそ死んでしまいたいとの気持を秘かにいだくようになつた。しかし、洋子を道づれにすることは忍び難く、この際は父親に洋子を迎えに来てもらうにしくはないと考えるに至り、洋子の父木内豊秋あてに、洋子の様子がおかしいので大至急迎えに来て欲しい旨の手紙を書いたが、なお最愛の妻を他人の手に渡したくないので二人で一緒に死にたいとも考えるなど、とりとめもなく思い悩み続け、自分ひとりで死ぬか、洋子を殺してから自分も死ぬかの決断もつかないまま、風呂から帰つた洋子にもこのことを言い出しかねて、その夜は就寝した。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四二年一一月二〇日、朝の寒さが余りに厳しかつたため仕事に行くのが大儀となり、仕事を休むことにして、札幌市南八条西五丁目梅原長平方の借間に寝ていた。そして午前九時ごろ、洋子から金をもらつてたばこを買いに外出し、その際前夜書いた木内豊秋あての手紙を速達で出して部屋に戻つたところ、洋子がまだ床の中にいたので、その横に再び一緒に寝た。被告人が洋子に「こんな生活ではどうにもならない。お父さんに迎えに来るように手紙を出したからお父さんが来たら一緒に帰れ。」と言い、これに対して洋子が「今さら帰れない。帰るのならあんた帰ればいいでしよう。」などと言うやりとりがあつた後、結婚式や新婚旅行当時の思い出を語り合ううちに、楽しかつた一、二ケ月前に引きかえ、現在の生活の惨めさがひとしお思いあわされ、互いに沈んだ気持になつて口をつぐんでいた。ところが、突然洋子が「あんた、いつそ死のうか。」と言い出したので、被告人はその真意を確かめるために「それじや死のうか。」と問い返したりしたのち、しばらく互いに沈黙したまま、あれこれ思いつめるうち、いつそ洋子を自己の手にかけて殺害し自分も死のうと前夜からの決意を明確にするに至り、同日午前一〇時ごろ、前記借間において、木内洋子(当時一七歳)の頸部に右手をあて、同女に対して「おれと一緒に死んでくれ。」と言つたのに対して、同女が何らの抵抗を示さず承諾の意を示したので、とつさにその手に力をこめて同女の頸部を絞めつけて仮死状態にし、その後みずからも追死するため、包丁、軽便かみそりなどで側頸部および右手首を切り、また木綿針を左手静脈にさすなどしたが、いずれもその目的を達することができず、翌一一月二一日午前一一時ごろ部屋の炊事場にあるガス管の栓を開放して自殺を企てた際、同時にそのガスを吸入した同女を、間もなくその場において扼頸および一酸化炭素中毒により窒息死せしめ、もつて被害者の承諾を得てこれを殺害したものである。

(証拠の標目)<省略>

(普通殺人を認めなかつた理由)

本件における検察官の主張は、要するに、被告人の木内洋子に対する殺害行為については、もとより同女の承諾がなかつたものであるから、被告人は刑法一九九条所定の通常の殺人罪の刑責を負うべきであるというのである。そして、前掲各証拠を総合すると、(1) 木内洋子が、札幌から実家の両親にあてて、百万円貯めるまでは帰らないという趣旨の手紙を書いていること(2) 昭和四二年一一月一八日バー「トンネル」において、洋子が経営者の市川笑子に「着物が一枚しかないからママさん世話してちようだい。」と着物のあつ旋を依頼していること(3) 犯行の日の朝、洋子は被告人に対し「あんたが働きに行かなければ金が入つて来ないから、あんたに働きに行つてもらわなければ困る。」と注意したこと(4) 被害者の死体は、髪にクリツプをつけタオルを巻いた下着姿であり、化粧もしていなかつたこと(5) 部屋の中には、洗面器に洗濯物をつけたまま放置してあるうえ、整理されておらず、遺書の存在する形跡がないことなどが認められる。そして、右の諸事実のうち、(1)  (2)  (3)  の点は、いずれも被害者が被害の日の朝までは、被告人に働いてもらうことは勿論、みずからも働いて収入を得、生活を続けて行くことを当然予定していたことを示すものであり、また(4) 、(5) の点は、いずれも被害者があらかじめ死に対する用意をしていなかつたことを示すものであり、これによれば、被害者は少くとも死ぬ少し前までは、死を意識していなかつたものと考えざるを得ない。従つて、被告人が「おれと一緒に死んでくれ。」と言いながら被害者の首に手をかけた時に、直ちに被害者が死についての同意を与えたものと認めるのは不自然であるとの検察官の指摘は、一応もつともなことと言わなければならない。

しかしながら一方、検察官主張の如く、洋子を無理に殺害したものとするには、(1) 、被害者の死体に抵抗した形跡が全く認められないことがどうしても納得できないといわなければならない。この点について、被告人は、(2) 、被害者の首に手をかけて「おれと一緒に死んでくれ。」と言つたときに、洋子は何の抵抗もせず、承諾したかのように自ら目をとじ、被告人のなすままに委せていたというのであるが、前記の死体の状況と対照して考えると、被告人の右の供述もあながち虚偽の弁解として否定し去ることはできない。まして、(3) 、被告人と被害者とは人一倍強い愛情で結ばれていた夫婦であつて、お互いに信頼し切つていたとみられること、さらに、(4) 、結婚当初の楽しかつた生活にくらべてあまりにもみじめで不安定な生活に落ちこんだ事情のもとでは、まだ一七才で冷静に熟慮する余裕とてなかつた洋子が、一時の感情から死をあえて恐れようとしなかつたとしても、あながち理解できないわけではないことなどの諸事情を総合するならば、本件の如き具体的状況のもとでは被害者がまさに死の直前に、黙示的にではあれ、死について承諾をしたと考えるべき余地は十分にあるといわなければならない。そして、検察官の主張と異り、承諾殺における承諾は必ずしも明示的、積極的であることを要しないと解すべきである。そうすると、被告人の本件殺害行為ついては被害者の承諾がないとの検察官の主張に対しては、合理的な疑いを入れる余地があるものと言わなければならない。

被告人が木内洋子を殺害した事実は前掲各証拠により十分認められるところであり、ただ、被告人の行為について刑法一九九条の通常の殺人罪の刑責を問うためには、検察官において同法二〇二条にいう被殺者の承諾がなかつたことについて立証責任を負わなければならないのであつて、右のように、この点が十分に立証されていない本件においては、被告人に対して通常の刑を科することはできず、被告人の行為は承諾殺として、同法二〇二条に規定する限度でのみ刑事責任を負うこととなる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇二条後段の承諾殺の罪に該当する。

そこで以下、情状について判断すると、(1) 本件犯行の直接の原因は被告人ら夫婦の経済生活の破綻にあること(2) 被告人は、犯行後直ちに妻洋子の後を追つてみずからの命を絶つために、いろいろの方法を試みたが、いずれも功を奏さず、はからずも被告人として裁判の場に立たされる身となつたこと(3) 被告人は、最愛の妻をみずからの手にかけながら自分は生き残つたという精神的重荷を背負つたまま、今後の長い人生の道を生きて行かなければならないことなどにおいて、被告人に同情すべき余地があるが、しかし(1) 被告人らの経済生活の破綻を来たした最大の理由は、自動車事故および法規違反の行為が重なり、運転免許の停止処分を受けたうえ結局職を失つてしまつたというように、被告人みずから招いたものであると見うること、(2) その打開策とはいいながら、厳しい冬を迎えようとしている北海道へ着のみ着のままとも言うべき状態でやつて来る事は、妻を養つて行くべき責任ある夫として軽率であつたこと(3) 親、兄弟に相談できないわけでもないのに、自己の判断のみで将来を余りにも悲観的に考えすぎたこと(4) 積極的に妻を導き、苦しい中にも生活の建直しに力を注ぐべきであつたのに、これに必要な厳しさとたくましさが欠けていたこと(5) こと人命に関しては、どんな場合でも慎重な配慮が要求されるのに、死が最もよい方法であるかについて冷静な判断をする余裕も与えず、あまりにも性急かつ軽率に妻の生命を奪つた責任は極めて重大であるといわなければならないことなど諸般の事情を総合考慮すると、被告人を懲役三年に処するのが相当であると考えられる。なお刑法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入し訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人には負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 萩原寿雄 秋山規雄 新村正人)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例